多くの人が「生きづらさ」を感じているとよく耳にします。
これをお読みのあなたも、
「生きづらい」
「社会についていけない」
「普通に生きているだけでも不安や苦しさを感じる」
といった悩みをお持ちかもしれません。
生きやすくなるためのメソッド、ノウハウは書籍やネットを中心に多く発信されていますが、このサイトでお伝えしたいのはより本質的な考え方です。
本質的な考え方を身につければ、今ぶつかっている問題も、これからぶつかるかもしれない問題も、自分の力で解決して前に進んでいくことができるからです。
今回は、生きやすくなるためには「主観」と「客観」を区別すべきである、ということを主に西洋哲学で発展した考え方をもとに解説します。
このサイトでは【よりよく生きる・働くための知恵】を古今東西の思想、哲学、兵法をベースに発信しています。
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「生きづらさ」とは何なのか
生きている限りさまざまな悩みや問題にぶつかります。その悩み・問題の中には、簡単に解決できるものもあれば、いつまでも引きずるものもあります。また、解決してなくても気づいたら忘れてどうでもようなっているものもたくさんあります。
では、そもそもこの悩み・問題とは何なのでしょうか?
また「生きづらさ」とは何なのでしょうか?
悩み・問題・生きづらさは感じ方次第
簡単に「生きづらさ」について説明すると、さまざまな悩み・問題をたくさん抱えるうちに、生活や人生の全体が思い通りにいかない、行き詰まり感でいっぱいになってしまった状態だといえるでしょう。
しかし、仮にあなたが悩み・問題を抱えて生きづらさを抱えているとしても、まわりの人からはそう見えてない場合もあります。
さらにいえば、誰がどういう生きづらさを抱えているかは、他人が正確に把握することはできません。それは、悩み・問題や生きづらさは、その人の感じ方でしかないからです。
そのため、衣食住に困らず、体が健康な人でも生きづらさから「死にたい」と思うこともあれば、明日食べるものがなくても希望を持って前向きに生きている人もいます。
悩み・問題・生きづらさと主観・客観の関係
つまり、悩み・問題とは、その人が自分が抱えている(捉えている)「世界」を「悩み・問題」として捉えているために起こるものです。
その抱え込みの量が多くなったり、抱え込んでいる期間が長くなるほど、その人の「悩み・問題」が心を占める面積や時間が長くなるために「生きづらさ」という実感へと繋がってしまうのでしょう。
そのため、あなたと同じ「世界」を見ていても、他の人から見れば「悩み・問題」でも「生きづらさ」でもない場合もあるのです。
ここまでの説明から「悩み・問題」や「生きづらさ」は、個々人の頭の中・心の中で生まれるものであり、個々人の考え方によって「悩み・問題」になったり、ならなかったりする、ということが分かると思います。
しかし「どんな悩みも思い込みなのだから、考え方を変えればいいんだよ」と簡単にいいたいわけではありません。このようなことを知っていても、どうしても考え方を変えられず、悩み続ける人も多いです。
そこで、これからもう一歩掘り下げた考え方をお伝えします。
それは、人間は「主観(頭の中)」の世界と「客観(現実・外界)」の世界に二重に生きる存在であるということです。
人間は二重の世界に生きている
人間が二重の世界で生きている、ということは西洋哲学の歴史の中で発展した考え方であり、今では多くの学問が前提としている考え方です。しかし、私たちが悩み・問題を抱えているとき、実は主観と客観をごちゃまぜにし区別できてないことも多いのです。
そこで、主観と客観の二重の世界に生きている、ということをあらためて明確にしてみましょう。
私たちの認識(頭の働き)が持つ限界
まず知っておくべきなのは、私たちの頭の働き(認識)が持つ限界についてです。
当サイトの研究では、哲学の認識論という分野の考え方をベースにしているため、頭の働きのことを「認識」と表現します。認識とは、感覚器官から反映された外の世界の情報が頭の中に反映され、それが1つの映像に統合されたものです。
端的にいえば、人間のあらゆる頭の働き、心の働きをまとめて認識というのだということです。
そもそも、世界には無限の物事が存在し、その性質も無限に複雑で多様です。一方で、私たちの感覚(視覚や聴覚)や認識(頭の働き)には限界があるため、この無限の世界をありのまま正確に捉えることができません。
これが、人間の認識が持つ根本的な矛盾です。
人間が持つ悩み・問題や生きづらさのような心の問題や、科学的思考、論理的思考、考え方のような理性の問題を考える場合、すべてこの認識が持つ根本の矛盾をベースに考えなければなりません。
主観の世界
ここまでの内容を整理すると、私たちは常に自分なりの捉え方で世界を頭の中に描き、それをもとに考えたり感じたりしているということです。
これが主観の世界のことです。
私たちいつも、現実の世界を主観の世界に映しとっていますが、これは必ず主観的になるものです。なぜなら、前述のように世界をありのままに認識する力を人間は持っていないためです。
そのため、世界の描き方は、その人が生まれ持った感覚器官のあり方、その人が置かれている環境、育ちの過程で身につけた感情・情緒の力、理性の力などによって左右され、個性的になるものです。
したがって、世界の捉え方(主観)は80億人いれば80億通りあるのです。人間の主観は、その人が頭の中に描く1つの世界であるため、世界には主観的世界が80億個あるともいえます。
客観の世界
一方で、私たちは主観の世界だけに生きているわけではありません。
現実の世界が存在し、すべての人間は現実の世界を共有して生きています。これを主観に対し、客観の世界といいます。
これまでの科学、哲学の歴史の中でも、そして現在でも「そもそも世界は実在しない」という議論もあります。私たちの認識が前述の限界を持つ以上、究極的には「世界は絶対に存在する」とはいいきれないかもしれません。しかし、人間はさまざまな観測技術を発展させ、世界の客観的な実在を証明してきており、現代のあらゆる学問や科学技術、文明は世界の客観的実在を前提につくられています。
よって、当サイトでは主観と客観を上記のように区別して述べています。このような立場を唯物論ともいいます。
私たちが現実に存在できるのは、この客観的世界のみであり、主観的世界は頭の中で描いているだけです。
しかし、人間にとってこの2つの世界で生きることは当たり前であるため、逆に区別をつけることが難しくなってしまっています。
この主観と客観の混乱や不一致が、悩み・問題につながります。
主観と客観の混乱が悩み・問題・生きづらさになる
繰り返しになりますが、人間は、客観的な現実の世界で存在して生活しつつも、それぞれが個性的な、主観的な世界を頭の中に描いて生きています。
この人間の存在の仕方の二重性から、さまざまな悩み・問題・生きづらさが生まれてしまいます。
主観(認識)を現実だと思ってしまう
よくある悩み方の1つが、頭の中に描いた主観的な世界を現実の世界(客観)だと思い込んでしまうことです。
前述のように、私たちが実際に見聞きしていると実感している世界は、頭の中で自分勝手に描いた主観的世界でしかありません。そのため、さまざまな形で現実を歪め、思い込みの混じった捉え方をしてしまっています。
たとえば、会社の上司から資料を作り直すようにいわれた際に、下記のように考えてしまうことがあると思います。
・上司に嫌われてるかも
・上司のいやがらせかも
・会社にあってないのかも
・無能なのかも
実際には、上司がどのように考えていたのかは分かりません。
それは、上司とあなたが別々の主観的世界を持っており、互いにそれを覗き見ることはできないからです。
しかし、このような自分の思いこみが現実のものであるかのように感じ、悩んでしまうことはよくあります。
現実の捉え方は、これまでの人生の中で作られたものです。
そのため、悩み・問題が多い人生を送ってきた人は現実を歪めて悲観的にとらえ、あらたな悩み・問題を作り出しやすいです。
そのため、悩み・問題の多い方、生きづらさを感じる人は、まずはあなたの主観である「どう感じているか」と現実に起こったことを区別する習慣をつくることが大事です。
主観(認識)が悩み・問題を作り出す
前述の内容と少し重なりますが、これまで悩み・問題を多く抱えてきた人ほど、現実を歪めて悲観的に捉えやすいです。そのため、悩み・問題を自分自身で作り出してしまう癖がついている方も少なくありません。
ここで知っておくべきなのが、悩み・問題とは主観(認識)と客観(現実)の不一致であるということです。
そもそも、悩み・問題というものが現実に存在するわけではありません。現実世界に存在するのは、ありのままの事実・現象のみです。悩み・問題とは、私たちがそれぞれの立場で、現実を悩み・問題として解釈しているということです。
たとえば、現実の世界に存在するのは気候変動であり、地球環境問題ではありません。気候変動という事実に対して、人間が「これは問題である。変えなければならない。」と考えて捉えたために、地球環境問題という問題がつくりだされたのだといえます。
あらゆる問題は、このように事実がそれぞれの立場で解釈されて問題がつくり出されるのです。
このように人間は、自分にとっての理想の世界を頭の中(主観)に描き、現実も理想通りであってほしいと考えるものです。しかし、実際には理想(主観)と現実(客観)にはギャップがあるもので、現実が理想通りということはほとんどありません。
そのため、この主観と客観のギャップを悩み・問題として捉え、そのギャップを解消したいと考えるものなのです。これが、悩み・問題が生まれる構造です。
そこで大事なのが、あなたが悩み・問題を抱えていると実感したときに、その悩み・問題と実感したものから、事実を区別することです。
「生きづらい」と感じている場合、その感情と事実(起こっているありのままの現実)を区別してみましょう。そして、その現実を別の角度からとらえ直してみると、別の世界が見えるかもしれません。
生きやすくなるための2つの方法
ここまで、主観と客観を区別することを解説しましたが、人類は歴史の中で悩み・問題を解決する方法を大きく2つのジャンルで発展させてきました。
主観を整えることで悩み・問題を解決する方法が宗教であり、客観を変えることで悩み・問題を解決する方法が、学問・科学技術です。
主観の世界(認識)を整える方法
前述のように、悩み・問題とは理想(主観)と現実(客観)のギャップから生まれます。「こうであってほしい」と思うのに、現実は理想通りではないために「それを変えたい」と思います。これが悩み・問題です。
主観を変えることで悩み・問題をなくすことを説く宗教
そして、人類の歴史の中では、この主観の方を変えることで悩み・問題自体をなかったことにする思想が発展しました。これが宗教です。
もちろん宗教がずっとそのようなことをテーマに発展してきたわけではありません。大きくいえば、初期の創始者となった開祖の宗教家であるキリスト、仏陀などは心の在り方を変えることを説きましたが、その後は国家の統治のために人々の心をまとめるために使われたり、神学論争がおこったりして変化していきました。
しかし、全体を通して宗教が心の平静や、よりよい生き方を説いてきたといえます。
たとえば初期仏教では、さまざまな悩み・問題は「もっと欲しい」「もっとこうであってほしい」といった願望、欲望から生まれるため、その欲望を捨てられるように修行することが説かれました。欲望を捨てて、現実をありのまま受け入れることで、悩み・問題が解決され、心に平穏がもたらされるということです。
これは仏教のみならず、古代のさまざまな宗教や哲学の中で、共通することが説かれていました。
端的にいえば、主観的世界(自分の感情や欲望、考え方)を変えることで、現実の世界とのギャップを解消する=悩み・問題を解決する、という方法といえます。
現代における主観(認識)を整える方法
近代化に伴い、宗教が私たちの生活に及ぼす影響は少なくなっていきましたが、それでも私たちは心の安定のために、何らかの生きる指針や考え方を求めるものです。
現代では、ライトなレベルのものは自己啓発的なジャンルに置き換わり、重い問題は精神科などメンタルヘルスのジャンルが担うようになりました。
しかし、宗教が歴史の中で獲得してきた考え方も時代遅れとはいえず、今でも学び、実践に活かしていくべきものだと考えられます。そのため、当サイトでは、この古代から発展した考え方を積極的に紹介していきます。
客観の世界を変える
一方で、主観と客観のギャップを解消するために、主観ではなく現実の方を変える方法も発展しました。これが学問や科学技術といわれるものです。
頭の中に描いた理想を現実の世界で実現させることで、主観と客観のギャップを解消する方法といえます。
たとえば「遠くの人とも手軽に連絡を取れるようになりたい」という理想を実現するために、伝書鳩や飛脚が生み出され、次第に郵便、電話、メール、SNSへと発展してきました。
この欲望を解消してなかったことにすれば、科学技術や文明的な発展はなかったでしょう。このように、
あらゆる問題を心の問題として解消しようとせず、時には現実を変える努力も大事であることが分かります。
日常的な悩みでいうと、客観的な世界を変えるには「転職、引っ越しなど環境を変える」「目標実現のための努力する」などがあります。
現実を変えることだけが「いいこと」ではない
ここでいっておきたいのが、現代の世界では「自分(主観)を変える」ことより「現実を変える」方法の方が「いいこと」とされやすいということです。これは進歩主義的な考え方が現代社会の根底にあるからでしょう。
ここから、多くの社会規範(「こうあるべき」という考え方)が、現実を変えること、進歩させること、成長すること、稼ぐこと、社会的に成功すること、など現実を変えることを前提にしたものになってしまっています。
したがって、これができない人、失敗した人には無能であるかのような意識を植え付けてしまっています。
このような社会規範が強いと、多くの人の考え方(主観)に浸透し、変わらなければ、成長しなければ、稼がなければ、という理想を描かせてしまいます。
そして、それができていない現実を「間違ったもの」と捉えてしまい、そのギャップを解消するまで悩み続けることになるのです。このような社会規範があることが自覚できていないと、モヤモヤと悩み続け、次第に生きづらさを感じることにもつながっていきます。
重要なのは、常に現実を変えられるわけではない、と割り切ることです。ときには現実を変える方がいい場合もあり、ときには自分の考え方を変える方がいい場合もある、と2つの方法を念頭に置いて考えましょう。
そうすることで、たとえ現実が思い通りにいかなくても、自分の考え方を修正して、また前向きに生きていくことができるからです。
まとめ
この記事で解説したことを整理すると、下記のようになります。
- 生きづらさとは、悩み・問題が長期化して生活や人生全体が思い通りにいかない実感で占められること
- 悩み・問題とは、主観と客観のギャップで生まれる
- 悩み・問題を解決する方法には、主観(考え方)を変える方法と、客観(現実)を変える方法がある
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