これまでに何度か自己受容について書きました。
自己受容とは、簡単にいえば自分のありのままを受け入れることです。このように書くとありきたりな表現に見えるかもしれませんが、多くの人が「よく聞いたことはあるけど、実際にはできない」状態ではないかと思います。
しかし、自己受容があまりできてない状態では、ありのままの自分を受け入れられずに他人のモノサシに左右されやすくなり、世の中の動向や流行、他人の言動によって動かされやすくなります。
いつも自分に何か欠けているような気がして、もっと自分を変えなければ、もっと成長しなければ、人に受け入れてもらえる人間にならなければ、などと考えて過剰な努力をして疲弊します。
人生にはそういう時期があってもいいかもしれませんが、私はむしろ「自己」というものを自分で形作る努力の方が大事だと思っています。「自己」が明確につくられるほど、世の中の動向や他人の行動、常識や他人の価値観に揺るがなくなり、自分は自分として、ありのままで生きていくことができるからです。
では、どうしたらそのような「自己」をつくることができるのでしょうか。
そのヒントは、自分の中にバラバラに存在する自分の過去の歴史をかき集め、まずは「すべて自分だ」と受け入れることです。
今回は、この考え方を解説します。
自己受容についてイメージが豊かになれば、それだけ実践しやすくもなると思います。
あれもこれも自分
私たちは年を重ねるうちにさまざまな経験をし、自分なりに「自分はこういう人間」というイメージを形作っていきます。成功体験もあれば、失敗、傷つき、やらかし体験もあるでしょう。
豊かに楽しいばかりの人生を送ってきた人はいいかもしれませんが、思い出したくない過去がある人がほとんどだと思います。深いトラウマ、傷つきの体験を持っていれば、それはしばらくは置いておいた方がいいかもしれません。思い出して自分を傷つけてしまうくらいなら。
しかし、思い出しても大丈夫なところまできたら、ネガティブな記憶もすべて含めて「自己」であると受け入れることが大事です。いい体験も悪い体験も思い出し、自分のいい面も悪い面も、傷ついたことも恥をかいたことも、すべて「自己」を構成する大事な要素なのだと思えることです。
そのどれもが今の自分を形作ったものであり「自己」の一部なのです。
分断されるほど弱くなる
自分の身体で考えてみましょう。
誰もが、自分の身体の中に「気に食わない部分」を持つものだと思います。もっとお腹が引っ込んだらいいのに、もっと脚が細く(太く)なればいいのに、もっと筋肉質で痩せたスタイルになりたい、もっと顔が、、などと。
しかし、そのように「受け入れられない自分の身体部位」が増えるほど、鏡を見るのが嫌になり、自分を否定してしまうようになります。自分の身体が「受け入れられない部分」ばかりで構成されると思ってしまうと、いつも自分の身体に欠乏感を感じ、もっと痩せないと、鍛えないと、健康に気を遣わないと、、と際限のない努力に追い立てられてしまいます。
これは精神面についても同じなのです。
自分の中に受け入れられない記憶、体験、歴史、性格などがあるほど、その自己の一部が分断されていきます。分断されるほど自分を受け入れられず、自分が小さく弱い存在であるかのように感じ、変化や努力が必要なのだと思い込むようになります。
そうして、世の中の多くの企業が発信する情報や広告を見て「もっとスキルアップを」「もっと将来の準備を」「もっと筋トレを」と際限なく自己変革を求めるようになってしまいます。つまり、他人がつくった価値観や考え方、モノサシによって揺らぎやすい存在になっていきます。
自己をつなぎ直す
過去や自分の性格・身体の一部が受け入れられないのは、自分で自分の一部を悪い方向へ解釈してしまっていることが要因です。
そもそも、過去のネガティブな記憶は、実はただの「起こった事実」でしかありません。恥ずかしい記憶は、ただ自分で「恥ずかしかった」と解釈をしただけ。自分が人に悪いことをしてしまったという記憶は「悪いこと」だったと自分で解釈をしただけ。「起こった事実」と「解釈」を混同してしまうと、それも自分の一部だと受け入れにくくなってしまいます。
まずは「起こった事実」と「解釈」を分けることが必要です。その上で、あえてそれ以上の解釈をしないようにしてみましょう。そして、ただ「起こった事実」を「それも自分の歴史の一部だ」と考えるようにしましょう。
自分の性格や身体の受け入れがたい側面も同じように考えればいいのです。たとえ今は未熟でも、それも自分の一部だと考えることが必要です。そうして、これまで無自覚のうちに「受け入れられない」と拒絶してきた自分の一面を、少しずつかき集めて「あれもこれも自分の一部だ」と思うことです。
自分の器が大きくなる
このように「あれもこれも自分の一部」と受け入れられるようになると、自分の器が大きくなります。ネガティブな記憶として残っていたものも、自分の一部だと思えることで、苦手意識を持つ行動が減ったり、苦手だった相手とも関われるようになったりするでしょう。
このように自己を見つめ直すことは自分を成熟させ、他人に寛容になり、よりよく生きる土台になっていくと考えています。
私は武道を通じて心身を成長させるために、このようなことを心がけてきました。自分の弱さ、未熟さ、嫌な面も受け入れないと先に進めないとあるときに気が付いたのです。弱さ、未熟さにフタをして、見ないふりをして、別の側面で強くなろうとしても、結局そのうち上達の限界がきます。そして見ないふりをした弱さ、未熟さは、何度も自分の前に壁として立ち現れるのです。
このような体験から、「自己」を見つめ直すことは、武道で上達するためにも必須のことだと分かるようになり、それは武道に限らず人生のすべての面で必要なことなのだと実感しました。
ただ無理して取り組むと、かえって自分のネガティブな面に囚われて自信を失ってしまうかもしれません。やってみる方も無理せず少しずつ心がけることをおすすめします。
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