これは前回のコチラの記事(資本主義社会で自分の生き方を貫くための方法(1)内省する)の続編です。
前回の記事では、私たちの欲望や価値観、考え方の多くが社会的につくられたものであること、それは資本主義社会に影響されたものであることを解説しました。
社会的につくられた価値観・考え方は、自分でつくったものではありません。そのため、その価値観・考え方に振り回されると、苦しみや生きづらさを感じます。
そのため、前回の記事では内省して「社会的につくられた価値観・考え方」と「自分の本心」を区別する「内省」という方法をお伝えしました。
今回は「内省」で自覚した上で「手放す」という考え方を解説します。
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余計な価値観・考え方は手放すこと
前回の記事で書いたように、私たちはこれまでの人生でたくさんの余計な考え方や価値観を背負ってしまっています。その余計な考え方のせいで、私たちは不必要な理想を描き、その理想と現実のギャップに苦しみます。
そのため、前回の記事では、まずはその「余計な考え方」と「自分の本心」を区別することを説明しました。
この区別すること自体、簡単なことではなく長い時間をかけて行わなければなりません。常に自分の考えと社会から作られた考えを区別する習慣をつくらなければなりません。
そしてその上で、余計な考え方を「手放す」ことが大事なのです。
手放すべきなのは下記の価値観・考え方です。
①過剰
自分の本心ではなく、社会的・経済的につくられた欲望から何でも欲しがることを過剰と表現しています。
・もっとたくさん欲しい
・服、インテリア、雑貨、ガジェットなどモノをすぐに買い換えたい
・もっと若くいたい、美しくいたい
・流行に遅れたくない
といった過剰な欲望です。
前回の記事でも書いたように現代は資本主義社会ですので、企業はより多くのモノ・サービスを消費者に買わせることで経済を回しています。そのため、広告などを通じてさまざまな欲望を喚起してくるものです。
私たちは、この社会で普通に生活しているだけで、たくさんの「欲しい」「やりたい」「食べたい」「行きたい」「見たい」といった欲望を抱えてしまうため、この過剰な欲望を自覚し、手放すことが必要です。
②拙速
現代社会では、どんなこともスピーディーにやることが求められます。
・他人より早く成果を出すこと
・より早く成長すること
・欲しいものはすぐに手に入れること
など、あらゆることを速く、すぐにやることが求められます。
これは、前述のように「過剰」な世界であるためでもあります。より多くのことをやりたい、より速くやりたい、という欲望が喚起されているため、限られた時間の中で多くのことをやろうとして、拙速な生き方になってしまいます。
さらに、仕事や学校では競争主義的な生き方が強いられることからも、拙速になってしまいます。
何事もより早く・速くやろうという拙速な価値観を持っていると、何をしていても焦りを感じたり、一日にやりたいことが終わらないと不安やイライラを感じたりしてしまいます。
そのため、拙速な価値観も本当に必要かよく考えることが大事です。
何でも早く・速くやる必要はないはずです。すべてをマイベースにできることはないとしても、物事によっては拙速さを手放してもいいのではないでしょうか。
③エゴ・自己中心性
現代人がもっとも自覚し、手放すべきなのが、自分の利己心・エゴについてです。自己中心性ともいえます。
そもそも資本主義社会の前提となっているのは、個々人が自分の利益を追求することは社会悪ではなくむしろ社会をよくすることである、という考え方です。個々人が経済的な利益を追求して活動することで、世の中にはより価値のあるモノ・サービスが増えてより便利になり、社会全体で豊かになっていくことができる、ということです。
確かに、このような考え方のおかげで社会は急速に発展し、私たちはさまざまな豊かさを享受できています。
しかしそのために、私たちはあらゆることを利己的に考え、エゴによって行動するようになりました。私たちの理性には限界がありますので、自分の「利益」の考え方も、実は目先の快楽でしかないことが多いでしょう。そのため、利己心・エゴによって活動することは、短期的な利益でしかなく、長い目で見ると「自分のためにはならなかった」ということも多いはずです。
人間が目先の快楽を追求してしまうのは、そういう本能を持っていたほうが進化の過程で有利だったからだと考えられます。たとえば、人間が原始的な生活をしていた時代、よりカロリーを摂取することで生存確率を上げられたため、人間は今でもカロリー摂取を快楽と感じ、我慢することが難しいのです。
このような考え方は、ここ数十年というスパンで見ても発展していると思われます。それは、資本主義の発展とともに、あらゆる人と人、人とモノ、人とサービスの関係が市場的な関係(お金のやり取りを必要とする関係)に変化してきたからです。
エゴや自己中心性を追求して活動すると、どういう問題が生まれるでしょうか。よく考えてみてください。
たとえば、自己の利益しか考えない親と子どもの関係を考えてみましょう。親は子どもを支配し、子どもを思い通りにコントロールしようとします。また、親は自分の感情をぶつける相手として子どもを利用し、時にそれは暴言や暴力に繋がるでしょう。
また、自己の利益しか考えない人が社長の会社はどうなるでしょうか。従業員を搾取的に扱ったり、ハラスメントをしたり、下請けを圧迫して利益を得ようとしたり、消費者をだますような広告を出したり、さまざまな問題を引き起こします。
いずれにしても、エゴや自己中心性による行動は、周囲との健全な関係をつくることを難しくします。上記の親や社長は、一時的には満足するかもしれませんが、いずれ周りから人が離れ孤独になったり、強い反発にあったり、幸福につながらない結果を招くはずです。
経済的な関係だけなら、エゴや自己中心性で行動しても成り立つケースが多いかもしれません。
しかし、人間の生活や経済的なものだけでは構成されていません。経済的な原理が通用しない場面でも、エゴや自己中心性で活動すれば、自分を不幸にしてしまいます。
「過剰」や「拙速」も、ある意味ではエゴによるものです。
そのため、エゴ、自己中心性を自覚した上で、そのような行動を手放して改善することが大事です。普段の自分の振る舞い、活動を振り返って、それがエゴによるものではないか考えることから始めましょう。
④優劣
前回の記事でも書いたように、人間は下記のように人と優劣をつけたいという価値観を持ちます。
・他人より勝っていたい
・優れた人だと思われたい
・他人より低く見られたくない(低能力、低収入など)
・マウンティングしたい、されたくない
これは動物的な生存本能による面と、文化的につくられた面があります。
ここで大事なのは、他人と比べて優劣をつける価値観に縛られると生きづらくなっていくということです。人間の能力には限界がありますし、多くの能力は加齢で衰えます。そのため、いつまでも、誰に対しても、どんな場面でも優位に立つということはできません。
しかし、プライドが高く、いつも他人に勝っていたいと無自覚に思っている人は多いです。実際、人から自慢されたり、能力や成果、見た目、他人からの評価などで明らかに他人に負けてしまった際に、まったくプライドが傷つけられないという人は少ないと思います。
大事なのは、このような優劣の価値観を自覚し、手放す癖をつけることです。自分が「優劣の価値観に縛られている」という自覚ができれば、さまざまな場面で「ああ、今は優劣を気にしていたな」と分かるようになります。
それがわかるようになったら、その価値観と距離を取り、少しずつ手放すようにしていけばいいのです。
まとめ
自分を縛る価値観を自覚し、手放していくことでよりよく生きられるようになります。
今回の記事の要点は下記です。
- 社会的につくられ、内面化してしまった「余計な考え方」は手放すことで、よりよく生きられる
- 「余計な考え方」には、過剰、拙速、エゴ、優劣などがあり、これらを自覚して手放す習慣をつくることが大事
価値観、考え方、常識、規範(~べき)という考え方の多くは文化的につくられたもので、無自覚のうちに内面化しているものです。それを自覚できないと、縛られ、自由に生きることができません。
資本主義社会を否定するわけではありません。資本主義は、基本的には世界を豊かにし、私たちのような普通の庶民でも自由に生きられるようにしました。しかし、この進歩によってあらたに生み出された問題、それも私たちの「生き方」についての問題は、よく考えなければなりません。
当サイトで発信している研究が、読者の方の「よりよい生き方」の参考になれば幸いです。
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