現代の多くの人々は、身体との付き合い方が非常に貧しい状態にある。多くの人にとって、運動は健康のための手段であり、一種の義務感と捉えられている。運動をしなければならない、ジムに行って体を鍛えなければならない、といったプレッシャーの中で、運動が苦手な人はますます運動を避けるようになり、楽しめなくなっている。
確かに、フィットネスはブームとなり、筋トレやハイパフォーマンスを目指す体作りが広がっている。しかし、これらの取り組みは、健康や外見の美しさ、ビジネス的な体力作りに重きを置くものも多い。運動の目的が健康や結果だけに限定されると、一部の人にとっては達成感があるかもしれないが、一般的には義務や負担を感じ、運動から遠ざかることになるだろう。
身体は「自分そのもの」
ここで考えたいのは、私たちが身体という「自分」とどう向き合っているかだ。
日常生活や仕事の中では、私たちは思考や言語を中心とした活動が主流になっており、脳や精神を自分の中心として捉えがちだ。しかし、身体もまた「自分」そのものの一部であり、私たちは身体を通じて世界と関わっている。つまり、身体との付き合い方が豊かであればあるほど、人生そのものが豊かに感じられる。
身体とは自分そのものといえるのだから、その自分との付き合い方が画一的なら、人生も画一的なものになりつまらなくなる可能性がある。「もっとタフに」「もっと健康に」「もっと美しく」と社会的なモノサシに合わせて身体と付き合うということは、他人がつくったモノサシに自分そのものを合わせていくということだ。自分を他人のモノサシで評価し、そこに合わせることを繰り返していれば、自分の本心が分からなくなることにもつながりかねない。
また、逆に身体の存在を軽視し、適当に扱っていれば、当然身体からの反逆を受ける。それはさまざまな不調や病気、疲れやすさ、元気のなさなど、さまざまな形であらわれるだろう。身体から得るさまざまな感覚・情報や思考や感情のベースでもあるため、そのベースが崩れれば、思考や感情も乱れやすくなる。
身体のリベラルアーツ
身体との付き合い方を豊かにするためには、身体について、さまざまな取り組みや文化、知識があることを知ることが大事だ。それは、運動や健康に限定されない身体全体に関する幅広い理解であり、私はこれを「身体のリベラルアーツ」と呼んでいる。リベラルアーツは、本来、自由になるための学問であり、身体に関する知識も私たちをより自由に、豊かに生きるためのものだ。
現代人は、仕事で疲れないようにタフな体を作ることや、見た目を若く保つために運動するという狭い枠にとらわれがちだ。しかし、身体のリベラルアーツ的な知識、考え方を知ることで、身体の本来の豊かさを取り戻し、私たちは身体という「自分」と豊かに関わり、人生そのものの質も変えていくことができるだろう。
昔の身体文化から学ぶこと
過去の人々は、現代の私たちとは異なる豊かな身体文化を持っていた。例えば、労働歌を歌いながら身体を動かすことや、熟練した身体技術を継承すること、さまざまな儀礼、芸能、武術、職人技など、身体を使うことが日常生活や文化に深く根付いていた。現代ではスポーツやフィットネスのように産業化された身体の使い方が主流だが、昔はもっと多様な方法で身体と向き合っていたのだ。
私自身、長年にわたり武術に取り組んできた。武術では、筋力だけではなく、感覚や空間認識、身体や武道具の操作を通じて身体や外界、他人と関わることを学ぶ。こうした豊かな身体の使い方を学ぶことで、私の身体の感覚は深まり、物事の感じ方や考え方、他人や外界との関わり方が大きく変わった実感がある。また、日常生活でも感覚、感情やレジリエンスが向上し、困難な状況にも対応できるようになった。さらにいえば、私にとって、身体の使い方を追求すること自体が大きな喜びであり、人生を豊かにしてくれている実感がある。
これはマニアックかもしれないが、私は四六時中姿勢や身体の使い方をよりよくすることを考えている。十代のころから、義務ではなく一種の遊びとして姿勢や動きに意識を向けるようになり、それがいまだに続いている。また、さまざまな身体を使ったワークや体操を実践したり、考案することも私の遊びであり、それが今の仕事にもつながっている。
身体との関係を豊かにすると、私のように一生無料で楽しめる遊びになるかもしれない。
身体のリベラルアーツを通じた豊かな人生
このように、身体との付き合い方や、身体のあり方、身体という「自分」との関わり方などを豊かにしていくと、さまざまな変化が訪れる。
何らかの目的に対して、手段として「運動」をするという考え方は、私からすると非常に画一的だ。それでは目的が失われると運動の意義もなくなるし、取り組み自体がつまらなくなりやすい。現代人が運動に対して苦手意識を持ちやすいのは、身体との付き合い方が狭く、豊かさが失われているためだ。
私は、身体をもっと豊かに使うための「身体のリベラルアーツ」という考え方を広めていきたいと思う。身体を通じて自分を解放し、自由な生き方を目指すための一歩として、身体との豊かな関係を結ぶことが大切だ。仕事で疲れないタフな体をつくるとか、作られた「美」の基準をクリアするために筋トレするとかではない、もっと別の関わり方を考えてみよう。
身体はただの手段ではなく、私たちの一部であり、その付き合い方が豊かになれば、人生そのものが豊かになる。武術や伝統文化の中で、身体は感覚や直感を研ぎ澄ます道具であり、精神を磨くための手段でもあった。そのような身体の文化を学んだり、実践したりすることから始めてみるといいかもしれない。
今後、このテーマについてはもっと掘り下げていきたいと思う。
コメント