【自他分離とは】人が本質的に孤独を不安に感じ、他人と一体化を求める理由

コラム

人は本質的に孤独で不安な存在だと感じるものだ。

なぜなら、私たちは生まれたときから「自分自身であること」だけでは不安を感じる性質を持っているからだ。私たちは孤独を避けたいと無意識に思ってしまう生き物なのだ。

エーリッヒ・フロムの「一次的紐帯」という概念では、私たちが他人と一体化したいという思いの背景にあるのは、赤ちゃんの時に母親と一体でいられた時の安楽さを求め続ける欲求だという。母親と一体だった時の安心感、無条件に受け入れられる感覚、それが失われることへの不安が、私たちの心の深層に残っているのだ。

この安心感を再現しようとする心理が、「他人と一体でいたい」という欲求につながる。つまり、人は本能的に孤独を恐れ、不安に感じるため、無意識のうちに他人との一体感を求める。他人を自分と同じ考えにしようとしたり、他人から認められたいと強く願うのも、こうした心理の延長にあると考えられる。

他人と一体化したいという欲

「他人と一体になりたい」という思いが強くなると、自分の存在を確認するために、他人をコントロールしようとする気持ちが生まれることもある。これは、「自分が誰かと一体感を持つことで孤独を感じないでいられる」という無意識の願望から来るものだろう。

例えば、親が子どもを過度にコントロールしようとするのも、その子どもが親の価値観に合致することで、自分が正しいと感じられる安心感を得るためかもしれない。いわゆる同調圧力も同じものだ。

逆に、私たち自身も、友人や上司、同僚の反応を気にして「彼らに認められたい」「彼らと同じ考えでいたい」と思ったり、意見が食い違ったときに不満を感じるのも、同じく他人との一体感を求める心理の表れだ。

他人と一体でいたい、孤独を感じたくないために、人の意見や常識、世間的な基準から外れないように生きてしまうのが、私たちが本質的に持っている傾向なのだろう。

他人との一体化をやめる:自他分離とは

このような他人と一体になりたいという欲求が強いと、本当の意味での自立は難しくなり、他人や社会に振り回される生き方になる。

自分と他人を「まったく別の人間であり、同じ考えになる必要はない」と心の底から思えることを、自他分離という。

自他分離ができていないと、常に親や友人、会社の上司や同僚といった身近な人の目を過剰に気にしてしまい、自分の行動や思考が他人の期待に縛られることになる。「社会的な常識」や「こうあるべき」という規範を無意識に取り入れてしまい、自分らしくいられない状態に陥る。

このように理性によって自分の本心が抑圧されると、真の感情がわからなくなり、自分の内から湧き上がるエネルギーを感じることができなくなる。これが生きがいを感じられなくなる原因になり、さらに深刻な場合、心の病に繋がることもあるだろう。

一見自由に生きている風の人や、自己中心的にふるまっているかに見える人も、実は自他分離ができず何らかの「こうであるべき」という価値観に沿って行動していたり、他人を振り回しコントロールすることで自分の存在を確認していることもあるため注意が必要だ。

自他分離の前に自己理解が必要

以前も書いたことだが、自他分離のためには自己理解と自己受容が必要だ。

そのために、まず理性による自分のコントロールと抑圧の心理を自覚することが大事だ。「自分の考え方や言動、行動を理性でコントロールするのは、周囲の人の目や常識を気にしているからだ」ということに気づくことが、第一歩だ。

また、自分を縛りつけているのが、自分自身の「弱さ」や「恐れ」であると認めることも大切だ。「自分を弱い存在だと認める」というのは勇気のいる行為だが、それができないとありのままの自分を受け入れられず、いつも「もっと成長を」「もっと変化を」と欠乏感に悩まされることになる。漠然と「今のままじゃだめだ」と考えてしまい、ますます不安定な自己になる。

そのため、不安や焦り、弱さも含めて、無理に隠さず「これが自分だ」受け入れることが大事で、そこから自己受容のプロセスが始まるのだ。

具体的な方法としては、ノートに自分の無意識の理性によるコントロールや規範をピックアップし、それに縛られていることに気づくことから始めよう。これをジャーナリングという。日々の中で「なぜこう感じたのか?」「なぜこの選択をしたのか?」と問いかけ、自分の感情や行動の背後にあるものを見つめる時間を持つことが大切だ。

自他分離と自己受容:他人と違う自分を受け入れる

自分を抑圧する理性に気づき、それを受け入れると、次に「自他分離」を意識できるようになる。

繰り返しになるが、他人の期待や社会の規範に無意識に従ってしまうのは、「他人と一つでいなければならない」という無意識の思い込みがあるためである。その思いに気づくことで、ようやく「他人とは違っても大丈夫だ」と思えるようになるのだ。

他人と自分が違うことを恐れず、自分の価値観を信じることが、自立した大人の在り方であり、人間的な成熟の証だといえるだろう。自己受容を通じて「未熟な部分、不足している部分も含めて私であり、それで良いのだ」と心から思えるようになることで、他人と違っても大丈夫だと思えるようになる。

そして、社会におけるさまざまな競争や評価、争いの土俵からおりて、自分の道を歩んでいけるのだと思う。

自他分離の先にある自由:自分らしく生きるということ

自己受容と自他分離が進むと、他人との一体感を求める必要がなくなり、自分の本心に従って行動することが自然になる。これは、「他人にどう思われるか」や「社会的な常識にどう合わせるか」という思いから解放されるということだ。自分らしく生きることができると、自分の人生に対してより深い満足感を得られるようになる。たとえ社会的な成功に程遠く、ハイスペックな人間になれなくても「別にそれでもいい」と満たされた気持ちで生きられるだろう。

自己受容とは、他人との比較や評価から自由になり、誰とも違う自分でいることに価値を見出すこと。そして、自分の感情や思考を否定せずに受け入れること。その先には、他人と違っていても、社会の常識から外れていても、自分は自分でいいのだと心から思える、自他分離による自由がある。

これが、私が考える精神的な自由という一種の境地なのだ。

まとめ:自分を受け入れ自立するために

孤独を感じ、不安や焦りに悩むことは、人間にとって極めて自然なことだ。

しかし、その孤独や不安を埋めるために無理に他人と一体化しようとしたり、自分をコントロールしようとすると、結果的に自分の本心や本当の欲求を見失ってしまう。

まずは自分の中にある「他人と一つでいたい」という無意識の欲求を自覚し、それが本当に自分の望むことなのかを問いかけてみること。そして、自分の弱さや恐れを受け入れることで、自他分離を進め、自分らしさを取り戻していくことができる。

不安や焦りを感じる読者の方々にとって、自己受容のプロセスは決して簡単なものではないかもしれないが、その道を歩むことで、より豊かで自由な人生が開けるかもしれない。まずは小さな一歩を踏み出し、自分の心の声に耳を傾けることから始めてみてほしい。

あなたがあなた自身でいられること、それが本当の幸せへの道だと信じて、焦らず、少しずつ、自分のペースで進んでいこう。

追記

最後に、自他分離や自己受容について描いた2つの漫画をご紹介。

1つは「青のフラッグ」という性の多様性に関する高校生の漫画。性のあり方という側面から有名になった漫画だが、私はもっと深いテーマとしての自他分離、自己受容を読み取った。個々人が他人とそれぞれ違う考え、価値観を持ちつつも、さまざまな摩擦や対立、傷つきを乗り越えて、自分も他人もありのままを認めて成長し、それぞれなりの関係性を育てていく。

もう1つは「バガボンド」という吉川英治の小説『宮本武蔵』を原作にした漫画。武蔵の史実とは異なるフィクションだが、武蔵が戦いや修業の中で精神的に成長していく姿が面白い。たとえば、序盤では吉岡一門に勝つために武者修行の旅をするが、修業に集中したいのに幼馴染の「おつう」への想いがよぎり、それを振り払おうとする。しかし、沢庵和尚から、そのようにおつうのことを考えてしまうことや、戦いを怖がる弱さも含めてお前なのだ、といったことをいわれ、自己受容を深めて精神的に成長していく。

どちらも繰り返し読んでも面白いし、特に精神的側面について学びがあるため、ぜひご参考に。

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